創業明治9年。
高山市中心部に店を構え、おかげ様で5代目になります。
着物をはじめ和装小物から和雑貨まで幅広く商品を取り扱っています。
会 社 名 | 有限会社 中田呉服店 |
設 立 | 昭和29年(西暦1954年)4月24日 |
所 在 地 | 岐阜県高山市本町2丁目78番地 |
資 本 金 | 300万円 |
代 表 者 | 取締役 玉腰裕子 |
事業内容 | 呉服及び和装小物、和風小物の販売 |
会社沿革 | 明治9年創業 |
初代清十郎は嘉永3年現在の奥飛騨温泉郷一重ケ根に生まれ、明治3年ごろより飛騨物産の麻布を名古屋へ行商し始め、明治5年には京都大阪より呉服類を仕入れ売りさばく傍ら、地産のまゆを求て製糸し横浜の外国商と取引したのを契機に、東京横浜の商況盛んなるを見分し、明治9年に高山へ出て創業しました。
明治18年に現在の下一之町に2度目の転居して基礎を固めました。写真は正月の初売りの様子です。滝井孝作の「俳人仲間」の中に明治44年ごろの店の様子が出ています。
昭和5年2代目清十郎が名古屋にて客死したのを契機に、本町2丁目の現在地に移転しました。
戦前の本町2丁目は大正末の下向町大火を契機に道路拡幅が実施され、商家の移転、開業などもあり新しい商店街として発展しました。又、昭和9年に高山本線の全通により市街地が西へと拡大したこともあり、新しい商業地として充実をしました。
しかし戦時中は経済統制などもあり、商家にとってはつらい時期が続きました。戦前の店舗の様子です。
戦後昭和21年には店を再開し、商店街の活動も活発となり、いち早く二十四日市を復活、馬頭絵馬市を本町会で開催、昭和三十年には商店街の特売日「ついたち市」を、3代目登美蔵が提唱する中で始めています。
昭和三十三年には日枝神社の式年大祭を契機として、飛騨で初めてのアーケードを本町会が設置しました。
戦後の不景気などにも見舞われましたが、高山の中心商店街の中で商いを続けてくることができました。
写真は昭和三十年の店頭での「ついたち市」の様子です。
平成7年度事業で本町会は5度目のアーケード改修とモール化事業を実施、地元の皆さんや観光客の皆さんにも親しまれる商店街として今日まで発展してきました。
これまで大体10年周期で商店街や商業の位置づけも変化を繰り返してきましたが、年間観光客数約400万人、外国人観顧客数25万人という、観光都市としての高山にあって、観光と市民生活の融合が商店街を仲立ちとして進むことを願っています。時代の変化にも対応し地域の中でより親しまれる店作りを目指しています。